【重要】遺体の変化を目の当たりにする必要性


【死の受容】

生きている中で最も辛いことの一つは、大切な人との別れ(愛別離苦)だと思います。もしその悲しみを完全に忘れる事が出来たら、生きるのが楽になるかもしれません。
(認知症の方々は、ある意味でその状態に近いのかもしれません)

でも、亡くなった人を「いなかったもの」と考えるのはあまりにも酷すぎます。
故人を忘れずに前を向いて歩く方法が家族には必要で、それは「出来事を理解し、少し納得し、いつかそこに意味を見出す」ことだと感じます。

死を受け入れるのは最初は拒否が殆どです。葬儀を通すも受け身なものでありつつ…そのうち理解が深まると自ら受け入れるようになり…そうやって人は生きていくのだと思います。

【火葬】


死後、最初のお別れが火葬です。
大好きな家族の身体を燃やさなければならない辛さは、言葉では表せないほどです。

ここで先ほどの「納得と意味づけ」のプロセスが必要になってきます。火葬に意味を見出すことで、家族は少しだけ心を落ち着かせることができます。

その為には、遺体安置時間中に故人に寄り添い、冷たい故人に触れ、自然な死後の変化を目の当たりにすることが大切なのです。

「もう天国に行く準備をしているんだ(これ以上そばに置いておけないんだ)」と自分で感じて、理解に似たような感覚を得ます。
それが大事です。

それでも火葬は辛いものです。
でも「絶対に焼かなければならない」と決まったとき、「そうする理由」を心のどこかに持っているかどうかで、家族の死の受け止め方は大きく変わります。

死後の世界を信じるなら、聖職者やお坊さんが火葬後に故人の行く道を教えてくれます。
悲しみの中で、家族は死後の世界を想像し、手を合わせて穏やかな旅立ちを祈ります。

死後は辛いことばかりです。
ふとした時に涙が止まらないこともあります。大切な人を失った時の辛さ悲しみ悼みは体験者にしか分かりません。
それは筆舌に尽くし難いものでしょう。

【現実】


私は遺体従事者として家族の言動を拝見してきて、死を丸ごと「忘れる」か、少しでも「受け入れる」かの2つの感情が、家族が前を向いて歩いていく方法に近いと思いました。

でも「忘れる」のは現実的ではありません。
残るのは「受け入れる」ことで、その手段は「安置時間にどれだけ故人の死を体感出来たか」だと実感しました。

【永遠のような一瞬】


以上の過程を完全に奪ってしまうと、家族はどのような心情になるでしょうか。

例えば、エンバーミング(遺体防腐処理)です。安置時間中の故人の自然な死後変化を一切なくし冷たくないことは、家族に「永遠のような一瞬」を錯覚させてしまいます。

その錯覚のまま火葬に向かうと、「眠っているようにきれいな姿の本人をなぜ焼くのか?このまま置いておけないのか?」と混乱してしまいます。

日本は「火葬の国だから焼くのが当たり前」と言われれば、少しは納得するかもしれません。
でも、故人が火葬に至る過程を体験していないから、「なぜ火葬が必要なのか」が実感できず、「火葬してしまったことが悔やまれる」と感じている家族も少なくないのです。

【(株)おもかげの役割】

亡くなった方がまだそばにいる間に、「限られた残りの時間、故人とどう過ごしたいか」を家族と一緒に考え実行します。

家族が心を整えるため、家族が故人との別れを受け入れるための「最初の一歩」を、プロとしてサポートすることが私達の役割です。

※とは言っても、遺体の変化は少ない方が良いにこした事はありません。臭いがあったり緑に変色したりしては絶対にダメです。

(株)おもかげではその辺りを含めてしっかりと「遺体管理」を致します。

投稿者:kojinsama 投稿日時:

沖縄ではなぜ仏衣が流行らないのか。

仏衣や白装束、経帷子(きょうかたびら)って聞いた事ありますか?

そうです。死者が着る、四国のお遍路様みたいな白い着物です。

オーソドックスなやつ。1番価格が低い
これ、よく納棺師さんが持ってくる仏衣
最近はカラフルに色んな色の仏衣が出回り
とっても綺麗!

死装束は家族が用意する私服率95%をほこる沖縄県では仏衣がまったく流行りません。(県外は仏衣50%私服50%くらい)

そんなわたくし、7年ぶり位に仏衣を着せました。(白装束は全てピンクで箱に高級仏衣と書いてあった)

10年前の納棺師時代のものよりめちゃめちゃ着せやすい!商品改良されたのか、前から元々着せやすかったのか…生地がツルツルしてるから生地の送りがなんとスムーズ…黒留袖だとキチキチするし年季入ってるから生地が破れたりするし。
なにしろ、滑りやすくて着せやすい素材でビックリ。

口から出た真っ赤な体液、仏衣についたその汚れすらいとも簡単に落ちる生地は感動すら覚える。色は本当に高級感があって綺麗だし…文句のつけどころがない。

死装束専門店(!)のさくらさくらさんの商品。沖縄では一度着せた事がある。

なぜこんなに素晴らしい商品

なのに沖縄では

流行らないのでしょうか?

※沖縄県は県全体が先祖崇拝思想なので、死後の考えとして(仏教のように)修行に行くのではなく、先立たれた先祖に会いに行くと本気で考えている。だから、見慣れない死装束とか着ていては本人認識がされないので、先祖のグループに受け入れて貰えないのでは…何しろ普段と違う服装は本人らしくないから良くない、と考えている人が多い。


※県外で言う「おじいちゃんがあの世で待ってるだろうね」のレベルでなく、一族の戦時中の死者まで遡り、その方々に持っていく副葬品(これをお土産という)を棺に入れる。


※沖縄ではご先祖様にお土産をもっていかないと、あの世で仲間外れにされてしまうと思われている。(結構本気で)


死装束は故人の私服、オシャレ着、着物、スーツ、袴、など故人らしい服。

※全て新品を用意しなければいけないという考えでもなく、故人が服を持ってなかったら、親族がそれぞれ着せられるような服をパーツごとに持ってくる事もよくある。

※いくら檀家制度ではないからと言っても、お浄土に行く際に道に迷ったら困るので旅支度の案内はする。その場合白装束は棺桶の中に入れするに留まる(間違っても故人に着せたりしない)

※沖縄県民の思想は先祖崇拝ゆえに、the修行行きます!the幽霊です!the本土の風習です!という見た目の白装束スタイルをあまり好まない。今でこそ柔軟に対応してくれる県民だが、10年前くらいまでは旅支度の案内をしようとすると「ここは沖縄県だよ!!💢沖縄のやり方で行かないと💢」と怒鳴られてた先輩が懐かしい…

投稿者:kojinsama 投稿日時: