死を受け止めるということ

エンバーミングとは長期保存の事なので、本場アメリカのエンバーミング遺体は3ヶ月経っても腐らないし、皮膚はゴム草履のように硬い。

ではなぜ、日本で「エンバーミングしたけどちゃんと柔らかかった!」という印象を受ける遺体があるのか。

それは「火葬まで4.5日ほどでそもそもエンバーミングなど必要がなかった遺体なのに、遺族の悲しい心情につけこんだ葬儀屋の口車に乗せられて」(社内でインセンティブ、ノルマがあるので)依頼に至った可能性が大。
(ホルマリン濃度を薄くしたら皮膚を柔らかくできるが、冷やさないと腐ってくる為、結局ドライアイス併用している)

剥製、と言ったのは分かりやすく表現しただけです。マネキンでも人形でもアンドロイドでも良い。とにかく触れたら分かる。自然ではない。


【重要】
私達は人間だから、死んだら変化します。
遺された家族は、その変化を見て「死」を体感して「本人は天国に行く準備をしてるんだ、もうこのままではいけないんだ」と悲しみの中に少しの理解と諦めを感じながら、とても辛い火葬に向かっていく。


元来、日本人はそうして大切な人の死を乗り越えてきました。

遺体を変化させない事がグリーフケアと謳うエンバーミング。一方で中途半端に生きてる風に見せる事で、家族の往生際を悪くさせる手伝いをしてる事も事実である。

エンバーミングを普及させたいなら、それこそアメリカを真似て土葬できる場所を用意してあげたら良い。

でも関係者は目先の金だけ。
遺族のグリーフワークやその後の事を考えてないから、エンバーミング遺体を制作した後の事など知らないし考えもしない。


そしてみんな勘違いしてますが、東日本大震災の時、被害に遭われたご遺体にエンバーミングは全くしていなかった。(活動記録なし)

つまり「エンバーミングは災害時に〜」って文言あるけど、多数の死者が出た場合の施工実践がない。


大切な人の別れは本当に辛いけど、それを受容しないと次に進めない。

エンバーミングは特殊な事情でない限り「害悪」に感じます。

投稿者:kojinsama 投稿日時:

遺体ビジネス

エンバーミング=人間を剥製にする事。

(剥製、と言ったのは分かりやすく表現しただけです。マネキンでも人形でもアンドロイドでも良い。とにかく触れたら分かる。自然ではない。)


ホルマリン液の影響で皮膚は硬い象皮膚に。

亡くなる瞬間まで握ってた手はカチカチに。

首から背骨まで、まるで鉄板が入ってるかのよう。身体は動かず、人間の本来の柔らかさはなくなる。

変化がないその顔はまさにアンドロイド。

腐る兆しがない大切な人をそのまま火葬炉に入れる苦しさ。


家族がそんな感情になるなんて誰も教えてくれない。

それが昨今の遺体ビジネス。

投稿者:kojinsama 投稿日時:

【重要】遺体の変化を目の当たりにする必要性


【死の受容】

生きている中で最も辛いことの一つは、大切な人との別れ(愛別離苦)だと思います。もしその悲しみを完全に忘れる事が出来たら、生きるのが楽になるかもしれません。
(認知症の方々は、ある意味でその状態に近いのかもしれません)

でも、亡くなった人を「いなかったもの」と考えるのはあまりにも酷すぎます。
故人を忘れずに前を向いて歩く方法が家族には必要で、それは「出来事を理解し、少し納得し、いつかそこに意味を見出す」ことだと感じます。

死を受け入れるのは最初は拒否が殆どです。葬儀を通すも受け身なものでありつつ…そのうち理解が深まると自ら受け入れるようになり…そうやって人は生きていくのだと思います。

【火葬】


死後、最初のお別れが火葬です。
大好きな家族の身体を燃やさなければならない辛さは、言葉では表せないほどです。

ここで先ほどの「納得と意味づけ」のプロセスが必要になってきます。火葬に意味を見出すことで、家族は少しだけ心を落ち着かせることができます。

その為には、遺体安置時間中に故人に寄り添い、冷たい故人に触れ、自然な死後の変化を目の当たりにすることが大切なのです。

「もう天国に行く準備をしているんだ(これ以上そばに置いておけないんだ)」と自分で感じて、理解に似たような感覚を得ます。
それが大事です。

それでも火葬は辛いものです。
でも「絶対に焼かなければならない」と決まったとき、「そうする理由」を心のどこかに持っているかどうかで、家族の死の受け止め方は大きく変わります。

死後の世界を信じるなら、聖職者やお坊さんが火葬後に故人の行く道を教えてくれます。
悲しみの中で、家族は死後の世界を想像し、手を合わせて穏やかな旅立ちを祈ります。

死後は辛いことばかりです。
ふとした時に涙が止まらないこともあります。大切な人を失った時の辛さ悲しみ悼みは体験者にしか分かりません。
それは筆舌に尽くし難いものでしょう。

【現実】


私は遺体従事者として家族の言動を拝見してきて、死を丸ごと「忘れる」か、少しでも「受け入れる」かの2つの感情が、家族が前を向いて歩いていく方法に近いと思いました。

でも「忘れる」のは現実的ではありません。
残るのは「受け入れる」ことで、その手段は「安置時間にどれだけ故人の死を体感出来たか」だと実感しました。

【永遠のような一瞬】


以上の過程を完全に奪ってしまうと、家族はどのような心情になるでしょうか。

例えば、エンバーミング(遺体防腐処理)です。安置時間中の故人の自然な死後変化を一切なくし冷たくないことは、家族に「永遠のような一瞬」を錯覚させてしまいます。

その錯覚のまま火葬に向かうと、「眠っているようにきれいな姿の本人をなぜ焼くのか?このまま置いておけないのか?」と混乱してしまいます。

日本は「火葬の国だから焼くのが当たり前」と言われれば、少しは納得するかもしれません。
でも、故人が火葬に至る過程を体験していないから、「なぜ火葬が必要なのか」が実感できず、「火葬してしまったことが悔やまれる」と感じている家族も少なくないのです。

【(株)おもかげの役割】

亡くなった方がまだそばにいる間に、「限られた残りの時間、故人とどう過ごしたいか」を家族と一緒に考え実行します。

家族が心を整えるため、家族が故人との別れを受け入れるための「最初の一歩」を、プロとしてサポートすることが私達の役割です。

※とは言っても、遺体の変化は少ない方が良いにこした事はありません。臭いがあったり緑に変色したりしては絶対にダメです。

(株)おもかげではその辺りを含めてしっかりと「遺体管理」を致します。

投稿者:kojinsama 投稿日時:

エンバーミング担当者はなぜ家族に挨拶しないの?

家族の大切な故人をどこかに連れて行き、どこの誰かもわからない「匿名」が故人の顔作りを請負う。「匿名」の技量次第で完成度が変わる顔が出来上がり、身体に満たしたホルマリンで腐らない本人となって家族の元に戻ってくるのがエンバーミング。

【本当は離れたくない、どこかに行かせたくないけど…処置の為なら仕方ない。
大切にしてくれてるかな…】
と家族が心配になるのは当たり前のこと。

流れ作業にせず故人一人一人を大切にしている事を示す為にも、エンバーミング担当者(エンバーマー)は、ちゃんと家族に自己紹介と挨拶をした方が良いと思う。

故人の身体にメスをいれるんだから、それくらい当たり前なのに

なぜしないのだろう

「医師は、患者さんはもちろん患者さんご家族とも挨拶をして、治療の詳細についてお話をした上で、治療に当たります」と生体でメスを入れる役割のお医者さんは言ってました。

家族の元に戻ってきた時にはもう皮膚は固まってしまい表情の変更不可だから、施す前に家族はエンバーマーと面会なり電話なりをして、細かな希望を伝えた方が良い。

遺体保全の中でもエンバーミングは高額商品。

やりっぱなしではなく【最後まで責任持つ】という姿勢を見せるべきだし、家族もエンバーマーとコンタクトを取りたかったら取れる権利があると思う。
だって自分の大切な故人を他人に預けるんだから


SNSに上がっているエンバーミングで別人にされたという声。

もしかしたら、納棺師の処置をエンバーミングしたと勘違いしている方もいるかもしれませんが、打ち合わせした家族ならまず間違えないですね。

エンバーミングの1番の問題点は修正がきかない所です。でもそれは腐らない遺体を作る為には仕方がないので、エンバーミングの結果で家族が悲しまない為にも良いお別れの為にも、葬儀屋に全任せするのではなく、エンバーマーとしっかり話して、希望を伝えるべきなのではないでしょうか。

投稿者:kojinsama 投稿日時: