株式会社おもかげ

鶴の恩返し~処置を見せない理由~

遺体管理として私に求められているのはメイク・着付けのパフォーマンス等ではなく、本気の処置であります。

(それは医療の手術に似てる…かな)

そうなるとおくりびと云々ではなくなってくる。

依頼主は

『儀式』や『パフォーマンス』ではなく

『本気で本人の体内・

顔面の改善を

求めている方々』

からの依頼が殆どなのです。

私の気を反らして、中途半端な手伝いをされるより

全力で集中してその手伝いを完璧にやってほしい、と心から願う方々ばかりなのです。

分かりやすく言うと、

手術に家族が付き添えないのは何故でしょうか?
色んな理由があるなかで上位に上がるのは
それがパフォーマンスではなくドクターの本気と全力で行うからではないのでしょうか?
(因みに、私がしているのは医療行為ではありません。

法律的に全く問題はございません。)

では、なぜ家族に見せられないのか?と思う方は多いでしょう。

それは

あなたが出来ない事を私が専門家として代行しているからです。

技術・知識・経験が備わっている自分を信じている私がする行為の目的は

『遺族へのパフォーマンス』ではなく

『故人への余計な心配を払拭』させるため

のみであります。

因みに↑のように(医療行為ではないのか)等を言ってくる人々は100人中100人、

遺族ではありません。

(と言うか、アンチ私汗汗汗妬み嫉みはどこの世界でもありますので…嫌みを言われながら頑張ってますぐすん(T^T)私には遺族と遺体がついていると信じて日々生きております(T^T)遺族の皆様感謝しております(T^T))

(あっっ遺体の法律は完璧に覚えているのでいつでも聞いてください😇)

話しはずれましたが…

以下、よく考えて見てください。

死や病気の深刻な悩みとは無縁の、

それらを対岸の火事としている、関係のない、健康な人間ばかりが現場を否定するのです。

健康な身体を持っている我々には、

本人の、家族の気持ちはわかりません。

朝起きて朝日を浴びて毎日が始まる、そんなあなた方には絶対にわかりません。

勿論本人の痛みや辛さなんて誰にもわかりません。

そして、遺族の痛みや辛さも絶対にわかりません。

私は自分の人生をそのような遺体と遺族の手伝いをするために生きています。

全てを犠牲にして、故人の為に今生きています。

沖縄にいる私を知る人はわかると思いますが

誰かと遊びにいくこと、飲みにいくこと、誰かと食事にいくこと、遺体関連以外のメールも一切しません。

そもそも飲み会には

参加したくありません。新年会や忘年会も参加したくありません。ストレスきわまりないのです。

(セミナー・勉強会後の懇親会は話が盛り上がるから行きたい✨)

酔った人間が良い話しが出来るわけない、というのが私のスタンスです。

関係ないけど、異業種コミュニケーションみたいな集まりも絶対に行きませんww

こう言った技術職にはそのような場でお客さんを得ることなんてほぼ無理でしょう。IT関係とかならいいかもしれませんが。

女性起業家とかの集まりも行きません。

『女性起業家特有の悩みを共有しましょう!』と時々メッセージが来ますが、私の悩みは誰にも理解されませんし、他の女性起業家の悩みを共有できる程のキャパはありません

(そう言えば、最近めちゃめちゃ多い『私も遺体が好きなんですよー』っていう人からコンタクトあるんですが、そう言う変な人と話したくありません。

にわか遺体好きが多すぎてイラつく一方です。

遺体とともに生きるので彼氏作らない再婚しないとしている私からしたら

にわかですにわか!)

私が考えているのは今日の故人の明日だけです。

そして暇な時間があれば家に帰りたいです。寝ていたいです。

月の3~4回は車中泊しています。ですから時間があれば家で寝たいですw

死は突然に起こり、いつでも全力の処置と遺族の安心の手伝いをする為にエネルギーつかいたくない。

遺体とともに死んでいく覚悟で、現在があります。

それほどの私の気持ちをきいても、

まだ興味本位で『処置が見たい』と寝言みたいな事を言ったり『見せられないことを…』とヒソヒソいいますか?

1つ、よい事を教えましょう。

鶴の恩返しという話しです。

私は、私を受け入れて下さった沖縄県になにか恩返しがしたいと思っておりました。

私は遺体が大好きでした。

恩返しは遺体管理で、となっている訳です。

わかりやすい昔話ですね。

社会貢献は専門分野を一歩踏み出すことから始まります。

って、

戦場ジャーナリストの渡部陽一さんが仰っていました。

(☆☆補足として☆☆)

①依存先を男性から遺体にシフトチェンジしているだけです。

安心してください。頭は正常ですよ…

②月に50人近く死者を見ている私は、

恐らくその人の『死』やその人の『人生』というそのものを形として客観的に解釈することが出きる立場にいる部類だと思います。

そうなると

『人生を全うした』

と故人本人が思っているケースは、

歳は関係なく

『やりたいことをやり遂げた人達』

であると感じます。

『まだまだ生きたかった』と言っておられた故人方は、なにか生きて成し遂げたい他の目的があったように感じます。

系統は、80過ぎてから英語を覚えたりする天才肌の意欲的なお年寄りなどがそのタイプですね。

かなりすごいことですし、その意欲は羨ましいです(>_<)

よくある≪死ぬまでにしたい10の事≫とかが良い例ですね。

つまり、死を考えて生きている私にお声をかけて下さるお優しい方々は、きっとまだ成し遂げていない何かをお持ちだからこそ私にそう言って下さるのだと感じます。

以前TVで、この世で生き残るにはドラスティックな改革が必要なんですよ

ってピカ子が言ってました。

なんやねんドラスティックってw

こう言う顔の故人様、結構いる…

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