株式会社おもかげ

私がおくりびとを辞めた理由

私は以前、

映画おくりびとのもっくんに演技指導したという会社で納棺師をしておりました。

どこに言っても『おくりびとの嘉陽さんです~っ』と紹介されてから入室しておりました。

そんな私は、違和感を感じながら会社をやめております。

本題の「やめた理由」は
『主人公が誰か』に気がついたからです。

⬇️⬇️詳細を書きます。⬇️⬇️

※以下、おくりびとになりたいと思っていらっしゃる方は

不快に感じるかもしれません。
ありのままを書いています。
どうとらえるかはお任せします。

以前の会社の方針は

「おくりびとの儀式」でした。

おくりびとになるには

着付けを完璧にマスターすること、でした。

入社してから半年、毎日のように

着付けの練習をしました。

半年後に社長の前で着付けを見せて、合格を頂いて、

はれて一人で現場にいくことができました。

さまざまな所でおくりびと、を演じました。
所作、振る舞い、、、
もっくんになりきること、を求められ、
おくりびとのイメージを壊さないように、と
先輩からもよく言われておりました。

また遺族も『あの、おくりびとが綺麗に着付けをしてくれた~』という
喜びの感情もあったと思います。
その現場では、需要と供給もしっかり生まれていたと思います。

一番に考えることは

美しく着付けをすること、

自分がどう見られているか、意識をすること。

目の前のご遺体のことは二の次で殆ど考えてなかったと思います。

我々がこのように遺体について軽んじられる訳には理由があります。

遺体の悪化、遺体の醜悪な部分、遺体の悪いところは全て、
遺体のせいにできたからです。
メイクが上手くないのは、遺体の皮膚が悪いからだと、誰もが納得してくれました。

遺体のパワーワードの1つである
『死んだからしょうがない』
をフルに使っておりました。

口があいても死んだから仕方ない
目が閉じなくても死んだから~
顔の浮腫が激しくても死んだから~
鼻や口から液が止まらなくても死んだから~

全て⬆️通用してしまうのです。

そして、だれもそこに関しては

口を挟まないと思います。

「死んだからってこのままでいいの?!」なんて
言ったら
「じゃああなたがやりなさいよ」となるからでしょう。

では、当時
遺体の専門、と紹介されていた

THEおくりびとの我々は
どこまで遺体の勉強をしていたか。

殆どしていません。
一般の方々よりは知っていることも勿論あったかもしれませんが

医療従事の方々の方がよほど遺体に詳しかったのではないでしょうか。

その原因はあげたらキリがないほどあります。

死亡診断書は見ずに、(部長曰く個人情報の為)
家族と話すこともせず、(先輩曰く遺族は気がたってる方が多い、話しかけない方がいい。)
さらには生前の写真すら見ない。(部長曰く個人情報の為)

他にも沢山


つまり、目の前のご遺体に着付けをして、自分の想像の中で

生きている本人の顔に近付けるメイクを施すのです。

なぜ、そこが変色しているのか、
なぜこんなに浮腫んでいるのか、
この口から出てる液はどこの臓器からでているのか、
そんなことは全く探りませんでした。
(変色→メイク
浮腫→そのまま
漏液→横に身体を倒して遺族の前で吐かせる
が当時の対処法でした。
今では絶対にできないことばかりです…)

万が一出来なくてもクレームにはなりません。
それは全て『遺体のせい』にできたからだと思います。それに沢山の逃げ口上を教わりました。

遺体のその後の悪化を、自分のせいにしないためです。

「いいから、とりあえず現場は一時間以内で終わらせてこい」と、
先輩から時間の指定を受けておりました。

遺族とあまり話すな、という規則?のようなものがありましたが

当時から遺族と故人の話で盛り上がっていた私は

時間も押すこともしばしばありました。


とりあえずメイクして、納棺して旅支度の案内をしてとりあえずおわる。

とりあえず、とりあえずこなしていく。
というのを六年近く惰性でやっておりました。

先輩達は「この仕事はみんなにすごいねって言われるからやめたくないんだよね」とか
「ベストとジャケットだと(おくりびと風)、
皆が二度見するから気分がいい」とか
そういう話で
大変盛り上がっていたのが印象的でした。

現場の遺体の話しなどは話題にあがることはありませんでした。


いえ、そんな話は出来なかったと思います。


なぜならば、
現場の人間が携わったその遺体の詳細を全く知らないので
伝えようがないのです。

「目が緑に変色してた」
「私もある!ある!」

という表面上の会話しかできないのです。

(法医学上野先生の『死体は語る』とかを読んで、
さもありえそうなことを自身の体験とすり替えて

遺族にせつに語っていた先輩もおられましたから、

おくりびとイメージアップには繋がっていたんではないでしょうか。)

因みに遺体は顔面蒼白になるイメージではありますが、
現実は半数以上が白ではありません。

では
なぜ白くなるのか、
なぜ赤黒い方もいるのか、
なぜおでこより顎が黒いのか…
なぜ額だけ緑なのか…

こんな遺体の勉強を先輩から伝えてもらえることは、
どこの営業所にいっても皆無でした。

理由は『知らないから』です。

私は先輩から
「口から漏液がある遺体の三大特徴は、水っぽい・急死・若い」
という、今考えたらとんでもない間違いの伝承を
六年間信じておりました。

この仕事に限った事ではありませんが
先輩から後輩への伝承については
ほぼ先輩の経験則での理解になり
そこに科学的根拠は殆どないと感じます。

何度も言いますがその当時の私は
ただ惰性で現場をこなしていました。

そこに遺体があったから
着付けをしましたメイクをしました納棺しました旅支度の案内をしました。

これのルーティンでした。

遺体にたいして一生懸命になることは
その会社では評価されませんでした。

それよりもっくんスタイルのおくりびとを
どれだけメディア露出させ、沖縄の方に認知させるか、
終活フェアで納棺体験や、着付けのデモンストレーションの依頼をとってこいと
社長に言われておりました。

それとは別なんですが

私は何年たっても皆様の注目下で着付けをするのが苦手なタイプでした。

元々バスガイドをやっていたので皆の前で覚えたことを話すのは得意だったと思います。

しかし演劇チックに身体を大きく使い、歌舞伎さながらキメ、キメ、キメ、 、そう言うのが苦手でした。

しかし、ここはおくりびとをうたっている納棺会社。

遺体従事は好きだったのでやめたくはありませんでしたが

基本の着付けが苦手となると…

会社で生き残っていくには、
この会社にはいない、遺体のスペシャリストになるしかない。

多分、人生で一番勉強したと思います。
医学書を買って読み漁りました。

因みに
法医学の先生方の本は、読みはじめこそ面白かったものの、、、
骨好きとかミイラ好きとか昆虫好きとか、
コアな趣味の方が多いので大半がそっちの話でしめていましたから
法医学本より生体の医学書の方が勉強になりました(^^;


そこで今まで教わってきたことが全く違う、という事実が

わんさかでてきました。

極めつけは社長が社員に配っていた、A4サイズの遺体勉強用、みたいなプリントがあったのですが
(たった一枚しか渡されてない汗)

そこに書いてある事柄で2つの間違いを発見しました。

私は当時の部長にそのことを伝え、
もっと我々は遺体の勉強をすべきだと思います。あまりにも知らなさすぎます。


言いました。


社長と相談します、と言われました。

一週間後に帰ってきた部長の返事は、
「社長が論外だって言ってます」
でした。

社長は


「おくりびと、という商品に付加価値をつけている。そのおくりびとがする納棺をセレモニー(儀式)としている」と
私の『遺体の勉強の必要性』を一蹴しました。

そうか

つまりおくりびと、とは
マジシャンのように自分を魅せる


パフォーマンス業なんだ、と
ずっと感じていたモヤモヤの原因がわかりました。

映画ではもっくんが主人公ですが
現場ではご遺体が主人公なのです。

おそらく、この考えは間違ってないと思います。

私は当時の会社をやめて、

全国に遺体勉強の旅に出ました。

そして沖縄に戻り、全国初の『遺体管理会社』を作りました。


私がご遺体の管理をして、ご遺体をお側で徹底的に見守りたいと、
自分の時間とエネルギーを使って、ご遺体従事に勤しんでおります。

今では私のなかではすっかりお馴染みの体液抜きも、ガン皮膚移植も、
全ては沖縄県の遺体の為に修得してきた技術と知識であり
それが、必要であれば惜しみ無く提供したいと心から思っております。

また、
自他ともに認める遺体信者のわたくしは、
今でも昼夜問わずに、悩めるご遺体の所に現れることを生業とし、

また人生の勤めであると信じております。


かつてはパフォーマンス一員として、
おくりびとを違和感ありながらぎこちなく演じておりましたが

現在ではパフォーマンスというより

遺族の悩みを共有し、
全力でその故人の悩みを的確にフォローする立場にまわっております。

基本は皆様の記憶に残りたくないので、
配管工工事や電気工事のスタッフのように完璧な黒子でいるように心がけております。


葬儀のお邪魔はしないようになるべく
静かに故人様のおそばに寄り添うことを意識しております。

私はご遺体にご奉仕する身分をわきまえております。

私と他の遺体従事者の何が違うか、とよく聞かれますが

おそらくご遺体へのそう言った奉仕の気持ちの量じゃないかなぁーと思ったりします… 技術云々は二の次ですね👀

人生をご遺体に捧げる決意の元、
今を全力で 生きております。

2020年も沢山の沖縄県のご遺体のご遺族のお手伝いができたらいいなぁと
思っております。

とうぞ本年も宜しくお願い申し上げます。

   嘉陽果林

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